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グラス買えよ

気がつくと、お昼時の、建物の影がずいぶんと長くなっている。
ちょっと前の、午後3時っぽい雰囲気。お昼なのに。
そういえば昨日今日と気温もずいぶん下がり、肌寒い。
朝なんか、秋というか、冬の気配すら感じるようになってきた。
なんか極端すぎないか?
暑さにあえいでいたのがウソみたい、つーか夢のよう。



仕事から帰ってきて、少し横になって、
まどろみまどろむまどろめばまどろめ、
な時間を40~50分ほど過ごしたあと、
明日のリハのための、曲たちと向き合う。
その中の1曲、“紅い空の下”は、
かなりシックリくるようになってきた。
この曲は以前より、より静かになった。
もともと静かめの曲なんだけど、さらに静かに。
たぶんそれが、この曲の「今」なんだ。

曲に限らず、
いろんなことに言えることかもしれないけれど、
「今」っていうのを素直に受け入れることって、
簡単なようで実は物凄く難しいことのような気がする。
今ある、それそのものを受け入れることの難しさ。

自分の中の理想や記憶、あるいはいろんな思い入れが
「今」を受け入れることの邪魔をするような。

もちろん、自分の身の回りのすべての「今」を
受け入れられるわけじゃないけど、
そこまで人間できちゃいませんけれど、
せめて音楽は、音楽くらいは、
できるだけ「今」を受け止めるようにと。
そんな風に、素直でありたいと思うのです。

アイリッシュ・ウィスキーを呑みながら書いてます。
うがい薬についてくる、プラスチックのちっちゃいコップで。
こうやって書くと、なんかまずそうだけど、
ふふふ、とってもおいしいデス。
で、ちょっと酔い良いデース。

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19:27 | ニッキ | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

涙ぬき

とぼとぼと過ごしております。

個人的にちょっとヤバい状況、
ココロの振り幅の大きくなっている状況で聴く、
金曜の浜田真理子さんのライブ。
これはヘタするとヤバいかも、
と、思ってかなり覚悟していたら、
これが意外と落ち着いて聴くことができた。

その理由は、たぶん真理子さんが「涙ぬき」をして、
うたをうたって聴かせてくれているからかもしれないのだった。

真理子さんは言う。

「私は、うたをうたうときに、できるだけ泣かないようにしています。
このうたをうたったら泣いてしまうかもしれない
と思う曲は、ライブ前の準備として、
家でそのうたを何回もうたって、いっぱい泣いて、
そうやって“涙ぬき”をするんです。」

そう言って真理子さんは、
アンコールで古い日本の曲「ふるさと」をうたった。

涙ぬき。
そういえばぼくもやっていたな。知らず知らずに。
とくに自分以外の人のうたをうたうときに。
でも、こんなふうに、それに名前をつけてはいなかったです。
そしにしても、なんだかかわいいコトバだなあ。

涙ぬき。

泣いてちゃいられない、じゃなくて、
泣いとかないといられない、とゆーことですね。
真理子さん、やっぱり流石でした。

18:58 | ニッキ | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

そんなんで泣くなよ

そう、
たまーに、
こういうときがある。

原因がわかならないのだが気持ちが不安定になり、
別の意味では、気持ちがひどく透明になって、
見るもの、聞くものに、いたずらにココロがもってかれる。

今朝、目が覚めて、ゴハンを食べながら
何気なく眺めていたドラマの予告編で泣いてしまった。
単なるドラマの予告編だよ?と泣いてる自分につぶやく。
アホな話だけど、でも涙がとまらないのだ。
深呼吸をひとつして、テレビを消してゴハンを食べた。

昨夜、久しぶりに幼なじみの友人と呑んで話したりした。
彼はここ最近の出来事なんかを面白くはなしてくれていたんだけど、
その話の内容は、ぼくには届かず、
彼の話している声や、カラダの動きや、目の表情が、
妙にダイレクトにこちらに届いて、気持ちがいっぱいになった。
ゴメン、今の話もう一度・・・とかいって、友人にヘンな顔されたり。

そう、
たまーに、
波みたいにこういうときがある。

今夜は横浜に行って、ある人のうたを聴く予定。
が、このぶんだと、なんかヤバイことになりそうだ。
いや楽しみなんだけど。。。
18:56 | ニッキ | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

そのあとの静けさへ



いま コトンと音がして

鳥は空へ消えていく

空は夜をつれてくる

鳥は夜空の打ちあけ話をきいている




いま コトンと音がして

きみが部屋の中にはいってくる

ずっとまえからそうしていたように

ぼくらは向いあってお茶を飲む




いま コトンと音がして

ぼくらは名まえよりも前に帰っていく

ちょうど忘れ物でもとりにいくように

風が部屋に入ってくるときに




いま コトンと音がして

最後と最初がいれかわる

だんだんとわからなくなり

だんだんと気づいてゆく



18:55 | ニッキ | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

うたの問いかけ

またちょいと暑さが逆襲してますな、昼。
この暑さ、夏の狂気の名残りのよう。
だから静かに受けとめる、ことにします。



土曜のSTAXでのライブ、終了。
この日は、10月に行われるレコーディングを
かすかに密かに意識しての演奏。
とくに“紅い空の下”という曲。
このとても古い曲を、今の自分でどう表現するのか
ということが、この日のいちばんの課題だった。

古い曲については、今でもうたっているものはいくつかある。
曲は時間が経つと、死ぬ曲と生きる曲に別れる。
自分の中で、まったく死んでしまったと思える曲は、
かわいそうだけど、もううたわない。うたえない。
それは枯れてしまった果実みたいで、うたってもなにもでてこない。
そのうたのまわりをグルグル周るだけで、空しくなるばかり。

一方、生きている曲は、問いかける。投げかける。
時間が経てば経つほど、それは大きく、広く、深くなる。
うたう時期によって、うたうその日の自分の具合によって、
なぞなぞみたいに、いろんな顔をのぞかせる。
そして思いもしないことを投げかけてきたりする。

たとえどんなにその曲を寝かせておいたとしても、
部屋の隅でホコリだらけになってたとしても、
いつかかならずその曲と向き合うことになる。
だってその曲はずーっと何かを投げかけ続けているから。
しかもその投げかけている何かは、
古い昔のことじゃなく、「今」に関することだから。

だからそんなふうに生き続ける曲は
うたわないわけにはいかないのだ。

“紅い空の下”という曲は、まさしくそんな感じの曲。
じゃ、うたいましょう、とやってみるのだけれど、
これがなぜかうまくいかない。
部屋で何度も演奏し、ライブでも何度か試してみても、
やっぱりうまくいかない。
このうたが投げかける「今」の問いかけを、
なぜだかうまくキャッチできないのだ。

そんなことがここ何ヶ月か続いた上の、昨日のライブだった。
で、昨日はどうだったか?
笑っちゃうくらい些細な思いつきで、
“紅い空の下”の「今」をパシっとキャッチできてしまった。
ちょとハズカシイので詳しいことは書かないけれど、
それは今の自分をよく見つめることだった。
これでやっとこの曲を「今」の自分で演奏することができる。
練習する前段階にやっとたどりついたというか。

はぁ~、ホントうたの謎は深まるばかり、秋は深まるばかりです。

む?この文じたいが謎?むー!

18:53 | ニッキ | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

ついにサラサラへ

なんだかエラく気持ちの良い陽気じゃないか。
吹く風がサラサラ、着ているシャツもサラサラだ。
ついに到来?いちばん好きな季節。
こーなってくるともうこっちのもの、というか、
今まで暑さや何やらでへたれて散り散りになっていた
自分のカケラが集まりだし、
やっと本来の自分を形成し始める。ような気がする。
ほとんどアメーバだ、いや、ほんとはアメーバなんだろう。
暑すぎたり寒すぎたりすると、心身ともに
自由に身動きがとれなくなる。ならない?

それにしても、秋の空はいいなあ。
思わずずっと、眺めてしまうよ。



ま、そんなこんなで、明日はライブなのです。
サラサラの世界の中を、新高円寺へ、ぜひ。


9月17日(土) 新高円寺 STAX FRED
open 18:30 / start 19:00 / ? 1500 + 1order
w / 篠 武志 / 杉田志緒 / 梅原典之

出番は4組中おそらく3番目、時間は20:00過ぎくらいだと思います。
18:51 | ニッキ | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

猫と溜息



猫は夜を追い払えず

頭の上の風も追い払えず

君の食卓にたどりつくこともできずに

仕方なく塀の上でぼくを見る



ぼくはポケットの中身をつかむことができず

夕暮れに追いつくこともできず

新しいうたをつかまえることもできずに

仕方なく道端で猫を見る



猫は目の奥で溜息

ぼくも目の奥で溜息

また夜が来るね

うん、まあね



ぼくらはまた夜に見られながら

ゆっくりそれぞれ歩き出す



電波塔が風で鳴っている

また夜が来ますね





18:48 | コトノハ | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

14号とオレンジ色なひと

それにしても14号。たいそう派手にやっているな。
何人かの死者も出てるみたいだし、コワイ。

自分が今「たまたま」安全な場所にいるだけ、という事実。
これも少しコワイ。というか不思議。

こういうの考えていくと、自分がここに生きている、
生き延びているのって、いくつもの偶然が重なり合ってできている、
ひとつの奇跡なんだろうなとも思える。

ひょっとしたら、その「偶然」そのものが、神さまなのかも、
とか、また宗教じみたことを。

あ、ちなみに無宗教です。音楽は信じていますが。

それにしても、ぼくら人間は小さいですね。
たとえ東京から福岡へ空からひとっ飛びで行けたとしても、
ヒトゲノム情報の解読に成功したとしても、
地面が割れて空が落ちてきて、
大波がさらいにきたら何もかもすべておしまいなんだもんね。
きみもぼくも。その記憶も。

「吹けよ風、呼べよ嵐」
とか言ってられるのも、そいつが安全な場所にいられるから
とかね。

でも、頑丈な部屋の窓から嵐を見てるのとか、
気持ちが揺さぶられて、実は好きだったりして。
どうしょもないですなオレ。



日曜日、嵐の気配の中を電車に乗り、新高円寺のSTAX FREDへ。
この日は梅原ヨシヒロ先生のライブ。

彼とはもう10年くらいのつきあいになるのかな。
お互い、音楽という星の周りを、一定の距離を置いて
ふたりでずーっとグルグルと回っているような、
そんな感じ。ですかね?梅ちゃん。

いやへんなこと言ってすいません。
でもなんだか梅原さんのことを書こうとすると、やけに照れてる自分がいるな。
つきあいが長いせいもあるだろうけど、なんかこう、
それだけじゃない気もするな、なんでだろ。

まいっか。梅原さんはとても素敵なシンガーソングライターです。
自身の理想とするシンガーソングライター像を、
どこまでもどこまでも追求している人だと思います。
別に特定の誰か、ということじゃなく、
彼の中には、彼が思う理想のソングライター像があるはずなんです。
たぶんそれをどこまでもどこまでも追っかけている。
執拗にひたすらに、そして静かに。
森の中で何年もかけて1匹の獲物を狙うハンターみたいに。
人柄は、いつも物静かで優しいけど、
実は半端じゃない情熱をもっている人なのです。と思うのです。

音のタッチはとてもソフトです。そしてこわいくいらい丁寧に演奏します。
一音一音の大切さを、ぼくはたぶん梅原さんから教わった気がします。
コトバも、同じようにこわいくらい丁寧です。
そしてその世界は、とても印象に残る映画を観るようです。

昔、彼のステージを見た、あるお客さんが、
「梅原さんからオレンジ色の光が見えた」
といっていたことがあったっけ。
たしかにオレンジ色っぽい気がする。説明できないけど。

梅原オレンジを放ちながら、彼はうたいつづけています。
なんだかわかんねー。すまへん、梅ちゃん。

また飲もうね、話しようね。
んで、音楽の周りを回っていようね。
ぼくもがんばって回るからさ。

18:46 | ニッキ | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

Bobtailから宇宙へ

昨夜のBobtailは、midoriyamaさんとの久々の二人ライブ。
midoriyamaさんとぼくで交互に演奏し、曲で対話するというやり方。

前回までは、最後の曲以外のすべての曲は完全に個別演奏だったが、
今回はぼくの曲の方にもじーんわりとmidoriyamaさんの音が。
これが気持ちよくて、その空気につい浸ってしまったり。
二人で合奏するシーンがやや増え、それによって音的に、
かすかにバンド寄りな空気になったかも。かすかーにだけど。

そしてバックのスクリーンには、打ち上げ花火。
今回のぼくらのコンセプトは、
「夏の終わりを切り取ったいくつかのシーン」。
ぼくらなりに過ごした2005年の夏を切り取って、
ぼくらなりの方法で表現してみたんだけど、どうだったかなあ。

演奏後、お客さんのひとりの女性から、
「二人でプラネタリウムで演奏してみては?」という提案が。
プラネタリウム・・・!?考えてもいなかっただけにかなりビックリ。
なんか不意をつかれたような感じ・・・そうきたか。
言われてみれば、たしかにぼくらの音楽は、どこか宇宙っぽい気もする。
midoriyamaさんの音なんて、間違って火星に幽体離脱してしまった
少年みたいな感じのところ、あるし。
ぼくも「うた」というスタイルだから当然コトバは使うのだけど、
その使い方はちょっとアブないような、
どこか宇宙語を日本語で言ってみました的なところがあるもんな、
とか悶々と考えているうちに帰宅時間が。
とにかく来てくれたお客さん、どうもありがとうございました。

帰りの電車の中で、
満天の星空の下で演奏する自分たちをボンヤリ想像する。
演奏しながら、ぼくやmidoriyamaさんや、
聴いている人々の足が地面を離れ宙に浮かび、
そのままゆっくり上昇し、大気圏外へ。
そしてみんな綱1本でコロニーにつながって、
そのままそれぞれ宇宙空間を浮遊しながら、でも演奏はつづいている・・・。

おっとあぶない、想像が妄想になりかけてしまった。
しかし何をどうしたら、プラネタリウムで演奏などできるのだろう。
見当もつかず。


「人は生きているのでも死んでいるのでもない。ただ浮かんでいるだけだ。」
by Bob Dylan
18:43 | ニッキ | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑